障害の有無に関わらず子どもの学びをサポートするためのボランティアという方法 ~ボランティアによる支援の「難しさ」と、経験を通して学んだそのポイント

発達障害

はじめに
学校現場では、チームティーチングやインクルーシブ教育などの指導形態が取り入れられるようになってきており、その運営上、教育を学ぶ学生によるものはもちろん、一般の方によるものも含め、ボランティアによる支援も非常に重要になりつつあります。一方で、その活動は、決して簡単なものではないのも事実です。
ここでは障害の有無に関わらず、子どもの学びの支援というボランティア活動の難しさやそのポイントについて、筆者が大学生時代に経験したボランティア活動を通じて学び感じた点などを中心にまとめています。

1. 筆者が経験したボランティア活動 ~ ボランティア活動は多くの教育活動の場で求められている

在籍していた学科の特性もあってか、大学生時代の筆者の周りには、先輩たちから伝統的に受け継がれているものや大学があっせんするものなど、非常に多くのボランティア活動がありました。

そのような環境の中で、筆者が経験した「子どもの学びの支援に関するボランティア」には、自閉スペクトラム症のあるお子さんと春休みや夏休みなどの長期休みにお出かけに行く余暇支援、特別支援学校での行事の支援の他、大学や市町村が有志を募り、地域の小・中学校に赴くようなボランティアがあります。

2. ボランティアという立場の「難しさ」

教育学部に在籍し、「教育」を学んでいるとはいうものの、「ボランティア」という立場はフルタイムで子どもたちと関わることはありません。そのため、子どもたちにとっては「学校の外から来る若いお兄さん・お姉さん」として映っていたと思います。

決められた時間だけ学校に赴き、子どもと関わるボランティアは、当然ながら先生方が持つほどの授業中における主導権はありません。あくまで先生方が円滑に授業を進行できるように支援をすることが役割です。そのため、当時はいかにして先生方の授業の進行を妨げず、必要な子どもたちへ必要な支援を行っていくのかを常に心がけて行動していました。

そのようなこともあってか、その活動を振り返ると、活動の際に悶々とした気持ちを抱えていたこと、「ああすればよかったな」などと反省したこと、また、改めて反省することなど、たくさんのことが思い出されます。

3. ボランティア活動で感じた、ボランティア自体の「難しさ」

「図-ボランティア自体の持つ「難しさ」」

(1) 通常学級でのボランティアで感じた「難しさ」 ~子どもに受け入れられるまでの時間

① 恥ずかしいところは見せたくないという子どもの気持ち

ある公立中学校のボランティアとして、英語や数学など、特定の教科の授業にボランティアとして支援することがありました。ここでのボランティアでは、特定の子どもの支援ではなく、クラス全体の子どもたちを対象に、「必要そうな子どもに対して適宜対応する」支援が求められていました。この活動を始めたときに感じた「難しさ」は、「子どもたちに受け入れられるまでに時間がかかったこと」です。

教科の学習の時間に教科書の例題を解いている間、子どもたちを見て回っていると、「あれ? この子はさっきもこの問題やってなかったかな?」と思うような時がありました。筆者からは、解き方がわからず困っているように見えたのです。

そこで、ヒントを与えたり、声をかけたりしたのですが、「いや、大丈夫です」と支援を受けることを(やんわりとですが)拒否するのです。その時は「ボランティアに教えてもらうのが恥ずかしい」と思っている雰囲気が伝わってきたので、こちらから無理やり教えることはしませんでした。

つまり、一旦距離を置いてみることが大切になる場面があるということです。これは一見簡単なようですが、ボランティアに求められる「役割」を考えると難しい面があります。

② 子どもが「監視されている」というような感覚を持つ場合も

また、先生が授業で話をされている際に、姿勢が崩れていたり、居眠りをしたりしている子どもに対してどう対応するかも、「難しさ」があります。

ボランティアの立場としては一声かけたくなるのですが、そんな時に「うるさいな」と反発されてしまったり、ボランティアと子どもの間でいざこざが起こってしまったりすると、授業の流れが止まって先生に迷惑をかけてしまうばかりか、子どもたちに「ボランティアに監視されている」という思いを抱かせてしまう可能性もあります。

子どもたちとの関係づくりが必ずしも十分ではない中で、どの程度踏み込み、引くのか。ちょうど良い塩梅を探すのは、どうしても手探りでの対応になりやすい、と言えるでしょう。

(2) 特別支援学級でのボランティアで感じた「難しさ」 ~ 普段学びの場を共にしていない子どもたちとつなぐこと、いっしょに活動させること

① ボランティアの存在に慣れやすい特別支援学級で学ぶ子どもたち

 特別支援学級でボランティアをさせていただいたとき、そのクラスには軽度の知的障害のある子どもたちや、自閉症の子どもたちなど、通常学級での学びが難しい子どもたちが在籍していました。そのボランティアを始めたときは、通常学級でのボランティアを始めたときと同様、子どもたちとの信頼関係の形成や距離感の面で「難しさ」がありました。

しかし、そのクラスには多くのボランティアが来ていたこともあってか、子どもたちも「ボランティア」という存在に慣れるのが比較的早いように感じました。

② 特別支援学級で学ぶ子どもが通常学級に通うことを支援することも、実際には難しい

 特別支援学級でのボランティアで一番印象に残っているのは、そのクラスに在籍する知的障害がやや重度のAくんという子どもについていき、通常学級での学活の時間の支援をしたときのことでした。その日のスケジュールはイレギュラーなものだったので、当日、特別支援学級の先生からの指示を受け、Aくんと一緒に通常学級についていきました。

 通常学級の教室に入るときに考えたのは、「あまりボランティアがついていない方がいいかな」ということ。そこでAくんに「行っておいで」と言った後、クラスの離れた場所からAくんを見守るようにしていました。すると、Aくんは、友だちとの距離の取り方が近すぎたり、休み時間もやることがないといった様子でクラスの中をふらふらと人にぶつかりそうになりながら歩いていたりしています。

周りの子も気になるようで、うろたえている子どもたちもいました。このとき筆者は何もできず、ただ悶々としていました。もちろん「Aくん、距離が近すぎるよ」とか「席に座って待っていたら」とか言うこともできたのですが、ここで筆者が口出ししてしまうと、筆者はAくんのお世話係であり、またAくんがクラスの中では異質な存在であるかのように見せることになってしまうのではないか、というように考えたのです。

③ 特別支援学級で学ぶ子どもが、通常学級での活動に参加できるよう支援することは、さらに難しい

授業が始まる直前に、先生がいらして、簡単にやることを教えてくださいました。その日は話し合いや班活動が中心だったので、基本的にAくんの側についていることを求められました。

一方で、Aくんがいきなりであってもその活動に参加できるようにするだけの力が、当時の筆者にはありませんでした。実際、筆者ができたことは、授業を進行されている先生が導入の話をしている途中で、Aくんが独り言を言うのを「しーっ」と言って注意したり、みんなが話し合ったことをノートにまとめる際、それを簡単な言葉に下書きしてノートに写す支援をしたりといったことだけでした。

その時筆者が感じていたのは、筆者がAくんの側にいること自体が、クラスからネガティブな意味で浮かび上がらせているのではないかということでした。つまり、筆者自身が居心地の悪さを感じていたのです。

④ 特別支援学級で学ぶ子どもが、普段と異なる環境での活動に参加で悲しい想いをしないために

また、Aくんは、話し合いという抽象的な活動をすることが難しく、たびたび姿勢が崩れたり、独り言を言ったりもしていたのですが、筆者がそれを抑えきれないと、授業を進行している先生が代わりに注意してくださっていました。Aくんは先生から注意を受けると、「どうして俺だけ」とつぶやき、その場にいることが苦しそうな悲しそうな、そんな表情をしていました。

その表情は今でも鮮明に思い出すことがあるのですが、改めて感じるのは、短時間で距離を縮めることの難しさに加え、他の子どもたちとつなぐことや、共同活動に参加できるように支援することの難しさです。そして、当時の筆者自身の勉強不足を反省しつつ、Aくんが感じたような想いを他の子どもたちにさせないようにしたいと強く思うのです。

4. 特別支援学校でのボランティアで感じた「難しさ」 ~ 自分の対応が良かったのか悪かったのかが得られにくい面がある、単発型のボランティアの難しさ

 特別支援学校でのボランティアは、運動会や学習発表会などの行事に行き、子どもたちの使う道具(運動会であれば大玉やリレーのバトンなど、学習発表会であれば大道具や小道具など)を用意したり、競技や演技を見ている間の子どもたちについたりというような支援でした。

筆者がボランティアに行っていた特別支援学校は、1学部が20人程度と比較的小規模な学校ではありました。ただそれでも、運動会や学習発表会などの単発的なボランティアでは、子どもの実態を出会ったその日に手探りでつかんでいくことになります。

このため、子どもたちのことを少しわかり始めたところでおしまい、ということになりがちなのです。そのような中でのボランティアは、毎回「今日のあの対応は良かったのかな?」と悶々としながら帰るようなものでもありました。

実際、「ああ、この子はこういう子なのだな」とだんだんとわかり始めたのは、同じ学校で比較的長い時間、1年間定期的にティーチングアシスタントという立場で支援に入り始めた時だったと思います。

5. ボランティアを続ける中で次第に見えるようになってきたこと ~ ボランティアに参加する際のポイントとして筆者が考えること

「図-ボランティアに参加する際のポイント」

ここまで筆者がボランティア活動を通じて感じた「ボランティアの難しさ」について見てきました。ボランティア活動中に「こうすれば良いのだ」と気づいたこともあれば、年月を経た今、思い返して「あの時、こうすれば良かったのかもしれないな」と思うこともありますが、いずれにしても、ボランティアにはある種の「難しさ」がつきまとうという面があります。

これらの「難しさ」に対処するにあたって、筆者が大事だと思うようになったポイントには次のようなものがあります。

(1) 子どもとの距離感 ~ 単発よりはある程度の時間をかけて

ボランティアは先生のようにクラスの中での指導者としての確固たる立場がある訳でもないため、どうしても役割が曖昧になりやすい面があることは否定できません。ボランティアを始めたばかりの最初からなじめることはないかもしれませんし、活動時間が短い場合などは特に、子どもたちとの信頼関係を形成するのに時間がかかると思います。

そこでまず大切なことは、様子を見たり、失敗したりしながらでも、根気強く、子どもたちとの「ちょうど良い距離を探していくこと」なのではないかと思います。筆者自身、そのようにして、また、長期的に関わっていくことで、子どもとの関わり方や距離がつかめるようになってきたように思います。

(2) 先生方との連携 ~ 何より子どもにとって有意義なものにすることが基本

ボランティアとして活動する際は、先生方と、授業の事前事後で、それが短時間であったとしても、今日の活動は何か、ボランティアとしてどのように動けばよいか、ボランティアとしてきちんと動けていたかといった打ち合わせをすることが大事だと思います。

忙しい先生方に時間を取っていただくことにためらうこともあるかもしれません。筆者自身、「こんな些細なことを聞いて迷惑がられないだろうか」と躊躇していたこともあります。しかし、少しだけでも情報交換をしておいた方が、子どもの時間を有意義なものにできると思いますし、先生方もボランティアを有効に活用できるとも思います。

(3) 他のボランティアスタッフとの情報交換 ~ボランティア「チーム」として支援する

同じようなボランティア活動に関わっている方との情報交換も重要だと思います。ボランティアをしているとどうしても自分の中だけで悶々としがちですが、困っていること、うまく行っていることなどを共有することで、改善のための、あるいは、将来の活動のためのヒントを得やすくなります。

ボランティア自体はたくさんいても、ボランティア同士が顔を合わせることがほとんどないというような場合も多いようです。そのようなときは、発起人となって他のボランティアの方を巻き込むというような活動も必要になるのかもしれません。

最後に

 教育における指導形態の多様化などもあり、学校活動においてもボランティアに対するニーズは非常に大きくなりつつあります。また、必要とされるボランティアの範囲も質も、多種多様なものがあります。一方で、ボランティアによる支援のあり方は、必ずしも正解があるものばかりではないという点など、相応の難しさがあると考えられます。

 ボランティアの基本は、支援された方のためになること。筆者の経験や経験からの学びが、みなさんがボランティアに参加する際の参考になればと思います。

takaya

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特別支援教育専攻・某大学院生

プロフィール

金森 保智

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全国地域生活支援機構が発行する電子福祉マガジンの記者として活動。 知的読書サロンを運営。https://chitekidokusalo.jimdo.com/

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加藤 雅士

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電子福祉マガジンの編集長。一般社団法人 全国地域生活支援機構にて広報委員を担当する。現在、株式会社グリットの代表取締役会長としても活動を行っている。

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