「多様性を認める」 視覚障害の視点で考える

社会的課題

はじめに
 多様性を認め合う社会づくりが重要とされるようになっていますが、それはどのようにしたら進むのでしょうか? ここでは「そもそも多様性を認めるとはどういうことなのか?」について、視覚障害のある方の世界を例としながら、私たちにできることを考えていきます。

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1. 多様性を認め合う社会

「図-多様性を認め合う社会の一つのとらえ方」・・・モノの見方との関係

(1) 自分基準でモノを見ているという事実

① ユクスキュルの環世界

 ユクスキュルの「生物から見た世界」という本をご存知でしょうか? そこで語られているのは、「同じ世界を、さまざまな生物がそれぞれの視点から見ていて、同じ世界であるのに、生物ごとに見え方が異なり、それぞれの視点からの世界が広がっている」ということです。

ユクスキュルは、これを「環世界」と表現していますが、主体となるもの、つまり視点が変われば、同じ世界でも異なる意味を持つということになります。

② 環世界を身近なことにたとえると・・・

このことは、直感的にもわかりやすいものではないでしょうか? 

たとえば、魚は人間にとっては食べ物、あるいは鑑賞するものである一方で、魚にしてみたら、人間は自分の生命を脅かしたり、自分の自由を奪ったりする憎き敵。他の例で言えば、人間にとって蚊は、自分の血を吸い、痒みという不快感をもたらすものである一方で、蚊にとっては血を吸える獲物。

上記の例については筆者の「主観」が入るものなので、正しさとか、あるいは一般性という意味では問題はあるかもしれません。とはいえ、それぞれの立場、つまり、魚や蚊の立場と少なくとも筆者の立場とでは、同じ世界が異なる意味を持っていることを表してはいるでしょう。

(2) 多様性を認めるとは?

① 自分基準でしか物事を見ていない

ユクスキュルが指摘する「環世界」の話は、種を超えなくても、同じ種の中でも起きるととらえることができます。つまり私たちは、基本的には「自分の視点」から世界を見ている。「自分が基準だ」ということです。いわゆる健常者と呼ばれる人々の間ではその差が少ないから、同じような世界が広がっているように感じられるかもしれませんが、実際には差異がある。

 このことは、日本で生まれ育った人と、別の地域で生まれ育った人と、目の前の広がる世界が異なるだろうということ、あるいは、同じ日本で生まれ育った場合でも、雪深い地域出身の方と、雪とはまったく縁のない南の島出身の方との違いに着目すれば、実感しやすいかもしれません。

 それでも「似ている部分」が多すぎるから、その差異には気づきにくいか、あるいは、というよりはむしろ、その差異にあえて注目しないようにしているのかもしれません。

② 多様性を認めるとは?

 「多様性」という言葉は、時代のキーワードと言えるでしょう。

たとえば人手不足が叫ばれるビジネスの世界の話で言えば、職場における「多様性」を認めることで、人種や性別、年齢、信仰などにとらわれず、多くの方々が活躍できるようになり、その結果企業の生産性や競争力のアップにもつながる、と言われています。

しかし、「多様性を認める」とは、一体どういうことなのでしょうか?

ユクスキュルの指摘から考えれば、「多様性」というものを本当に認めようとするのなら、まずは「自分基準である」ということと、だからこそ「同質なものの中にも差異がある」ということを、きちんと認めることから始めなければならないのではないか? と考えられます。なぜなら、「多様性を認める」とは、差異があることを認め、その差異を尊重することと言えるからです。

参考:
生物から見た世界、ユクスキュル、岩波文庫

2. 視覚障害という世界
(1) 視覚とそこから得られる情報の量が与える影響

 では、「自分基準で見ている」とは、どういうことなのでしょうか? 

「見ている」というキーワードからは「視覚」という機能が思いつくでしょう。「視覚」は、聴覚、嗅覚、味覚、触覚とともに五感の一つとされています。一方で、この「視覚」というものは、非常に特異な感覚とも言えます。と言うのも、人が受け取る情報の8~9割が視覚からのものと言われているからです。

逆に言えば、視覚がなければ受け取れる情報が極端に減るのですから、情報量の面からだけでも、大きな差異が生まれています。この情報量の差は、モノの見方、その基準についても大きな影響を与えるはずですから、そこでも差異が生じていることになると考えられるわけです。

2) 視覚障害とは?

「図-視覚障害とは?」

① 視覚障害とは?

視覚を失う、つまり、「見えない」と言えば、視覚障害があります。眼には、物の存在や形状を認識する能力である視力の他、見ることのできる範囲を示す視野、色を識別する色覚などの機能がありますが、その機能の不具合により、生活に支障を来している状態を言います。

身体障害者福祉法に規定されている視覚障害は、視機能のうちの矯正視力、視野の程度により1級から6級に区分されています。

1級:両眼の視力(万国式試視力表によって測ったものをいい、屈折異常のある者については、矯正視力について測ったものをいう。以下同じ)の和が0.01以下のもの
2級:1 両眼の視力の和が0.02以上0.04以下のもの
   2 両眼の視野がそれぞれ10度以内でかつ両眼による視野について視能率による損失率が95%以上のもの
3級:1 両眼の視力の和が0.05以上0.08以下のもの
   2 両眼の視野がそれぞれ10度以内でかつ両眼による視野について視能率による損失率が90%以上のもの
4級:1 両眼の視力の和が0.09以上0.12以下のもの
   2 両眼の視野がそれぞれ10度以内のもの
5級:1 両眼の視力の和が0.13以上0.2以下のもの
   2 両眼による視野の2分の1以上が欠けているもの
6級:1 眼の視力が0.02以下、他眼の視力が0.6以下のもので、両眼の視力の和が0.2を超えるもの

② 「見えない=視覚障害」とひと言で言っても

 視覚障害に等級が設けられていることからもわかるように、「見えない=視覚障害」とひと言で言っても、差異があることがわかります。その一方で、「この差異が一体どのような意味を持つのか? どのような影響を与えるのか?」を、いわゆる健常者の方が実感するのは、視覚障害があることを理解することと同様、難しいことでしょう。

 また、仮に同じ等級であったとしても、先天性のものか、後天性のものか、によっても差異があるはずです。さらに、光を感じない状態である全盲と、そうでない場合とでも、大きな差異があるはず。そう考えると、同じ視覚障害のある方同士であってさえも、その差異は非常に大きく、お互いの状況の理解が難しい可能性もあるわけです。

つまり、視覚機能の問題を共通点として「視覚障害」とひとくくりにしたところで、視覚障害を理解できるわけではないということになります。

③ 「見えないこと」は、目隠しをすることとは違う?

 仮に、光を感じない全盲を「見えないこと」としたとき、目隠しをすればそれが理解できるのではないか? と考えられるかもしれません。しかし、実際には、「見えないこと」は、「目隠しをすること」とは違う、と言います。このことは、先天的に全盲の方を考えた場合に明らかです。

 先天的な全盲の場合、視覚を通じて物を見た経験がないことになります。つまり、実際に体験のしようがないもの、たとえば、「山」や「色」といったものを、視覚を通じた経験を土台にしてイメージすることができないということになります。目隠しをしたところで、視覚を通じた経験があるのなら、同じ感覚を持つことはできないということなのです。

④ 「見えない」=定義に忠実?

「図-山の理解の仕方、そのイメージ」

 では、見たことのないものを、「見えない」方は、どのように理解するのでしょうか? 基本的には、定義に忠実に理解するとのことですが、「定義に忠実」ということをいくつかの例で考えてみましょう。

1) 山:陸地の表面が周辺の土地よりも高く盛り上がった所。
2) 富士山:山梨県と静岡県の境にそびえる円錐状の山。最高点の標高は3776mと日本最高峰。
3) 赤:色の名。三原色の一つで、新鮮な血のような色。また、その系統に属する色の総称。
4) 青:色の名。三原色の一つで、晴れた空のような色。また、その系統に属する色の総称。

 上記に示した文章は、辞書上の定義を簡略化したものです。山、富士山について、視覚を通じた経験的に言えば、上図の左のような二次元的な形をイメージするのが一般的とされています。これは山の絵や写真のイメージが大きく影響を与えているからです。

一方で、文字で表現された定義からすれば、上図右のイメージが正しい。実際、見えない方は、この文字で表現されたとおりのイメージを持つそうなのです。

なお、色については、グルーピングして、そのイメージをつくるとのこと。たとえば「りんご」「いちご」「トマト」といったものを「赤いもの」のグループとし、そのグループに、「あたたかい気持ちになる色」という感覚を結びつける、ということです。おそらく、「りんご」「いちご」「トマト」から感じることも、赤のイメージを理解することにつながっているのでしょう。

(3) 視覚障害を理解する、ということ

「図-視覚障害を理解する、ということを整理すると・・・」

 ここまで見てきたことは、次のように整理できるのではないでしょうか?

まず、一つ目は、いわゆる健常者と全盲の方とが、同じことを表現することは可能であるということです。上記の例で言えば、山や色など、同じことを共有することができる。

二つ目は、同じことを表現できるとしても、それは同じように理解しているということではないということです。理解の仕方が異なることもまた、山や色の例で明らかでしょう。

最後の一つは、理解が異なるということは、それが意味することが異なるということです。たとえば全盲の方が、自分がその時着る服に「赤」を選んだとしたら、恐らく健常者の方が赤を選ぶのとは異なる意味が含まれているだろうと考えられるわけです。

このように整理すると、「視覚障害を理解するとはどういうことなのか?」が、おぼろげながらも見えてきます。それは、「視覚障害があること」と「視覚障害がないこと」には、差異があるということを認めることであり、また、健常者の基準からだけでは、それをひも解くこともできないということです。

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参考:
国立障害者リハビリテーションセンター
視覚障害者の理解のために
http://www.rehab.go.jp/Riryo/hk_tebiki/hk_tebiki_info7_1.htm

東京大学 バリアフリー支援室
視覚障害について、知っておいていただきたいこと
https://ds.adm.u-tokyo.ac.jp/receive-support/blind.html

立命館大学生存学研究センター arsvi.com
第15章「見えない世界で生きていく――視覚障害者の意識と感覚」
http://www.arsvi.com/1990/94051715.htm

3. 本当の意味で「多様性を認める」とは?
(1) 日本が目指す「共生社会」

 日本が目指す社会は、「共生社会」と呼ばれています。共生社会とは、文科省が示すところによれば、「これまで必ずしも十分に社会参加できるような環境になかった障害者等が、積極的に参加・貢献していくことができる社会である。それは、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会である。」としています。

(2) あらためて、多様性を認める、とは?

 この「共生社会」の定義をよくよく見てみれば、「人々の多様性を認める」ということに他ならないことに気づくでしょう。

これまでに見てきたように、視覚障害のある方の「見え方・見方」についても、ステップを踏めば、少しずつ理解することは可能ともいえるかもしれません。

しかし、少なくとも、目に見える人の基準からでは、視覚障害があるということ、見えないということを理解することも、また、ひも解くこともできませんでした。つまり、健常者の基準からだけでは、障害があるということを理解していくことはできないと考えられるわけです。

(3) 「当たり前」を知り、「当たり前」を超える

 そう考えると、健常者が「障害がある」ということを本当に理解するということは、自分たちにとっての当たり前をきちんと知るということが出発点になるのではないかと考えられるわけです。

ただそれは、健常者が恵まれているということを理解しようというようなものではなく、健常者が何に影響を受けて物事を理解したり、判断したりするのかを知るということです。それは、歴史であったり、文化であったり、受け止める情報の性質や種類であったり、受け止める方法であったりするのではないかということ。

それが土台となって、「多様性を認める」ことができるようになると考えられるということです。これはまさに、ユクスキュルが指摘する「それぞれの見方、基準を知る」ということと言えるでしょう。

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参考:
文科省
1.共生社会の形成に向けて
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1325884.htm

最後に

 日本は共生社会の実現を目指している、とされています。そこで重要になるのは、多様性を認めるということ。ただ、多様性を認めると言っても、それが一体どういうことなのかは、よくわからない面があるのではないでしょうか? 

 ここでは、視覚障害を例に、見えることと見えないこととを対比することで、「多様性を認めるとはどういうことなのか」を検討してきました。ここで提示したのは、そのアプローチとしての一例です。このような試行錯誤を続けることが、本当の意味で「多様性を認め合う」ためには必要となるのではないでしょうか。

 なおこの記事に関連するサイト及び資料は下記の通りです。ご参考までにご確認ください。

参考:
文科省
1.共生社会の形成に向けて
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1325884.htm

国立障害者リハビリテーションセンター
視覚障害者の理解のために
http://www.rehab.go.jp/Riryo/hk_tebiki/hk_tebiki_info7_1.htm

東京大学 バリアフリー支援室
視覚障害について、知っておいていただきたいこと
https://ds.adm.u-tokyo.ac.jp/receive-support/blind.html

立命館大学生存学研究センター arsvi.com
第15章「見えない世界で生きていく――視覚障害者の意識と感覚」
http://www.arsvi.com/1990/94051715.htm

生物から見た世界、ユクスキュル、岩波文庫

金森 保智

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全国地域生活支援機構が発行する電子福祉マガジンの記者として活動。 知的読書サロンを運営。https://chitekidokusalo.jimdo.com/

プロフィール

加藤 雅士

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電子福祉マガジンの編集長。一般社団法人 全国地域生活支援機構にて広報委員を担当する。現在、株式会社グリットの代表取締役会長としても活動を行っている。

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