アートの力で福祉を変える! 工房集の挑戦(第1部)

インタビュー記事

はじめに
JLSAでは、全国で活躍する障害者施設様にお伺いして、障害のある方が活躍されている姿を日本中に広めていく活動をしております。

第1弾は、就労継続A型支援施設「ハートフル松本FVP」様を通じ、A型の施設とはどういうところで、どういう方々が施設を運営され、かつ、そこでイキイキと働く方々の姿を、現場体験を通して感じた取材記録をご紹介しました。
https://jlsa-net.jp/interview/h-fvp/

今回の第2弾は、社会福祉法人みぬま福祉会が母体となる「工房集」様が舞台。工房集様は、障害の重たい方を対象とした「生活介護型」の施設様で、アートの力で、障害のある方の活躍の場を広げていく活動をされています。埼玉からアートの力で福祉を変える! そんな取組を今回ご紹介したいと思います。

今回の記事は、大きく3部構成になっています。
第1部は、工房集様の母体「社会福祉士法人みぬま福祉会」様のご紹介
第2部は、工房集様の生い立ちと現在に至るまで
第3部は、工房集様のこれから目指すところと、アートの現場を見て感じたこと
となっています。

今回の記事の目次
第1部 工房集様の母体「社会福祉士法人みぬま福祉会」様のご紹介
1.こんなオシャレな福祉施設の建物は初めて!
2.なぜ、工房集が生まれたのか? 母体の社会福祉法人みぬま会の活動をご紹介
3.熱い思いの人達が集まって「希望すれば入れる施設づくりを目指そう!」
4.工房集が生まれたキッカケは従来の福祉的仕事に合わない人との出会いがキッカケだった。
5.工房集、決して順風満帆ではなかったスタート。色々な障害を乗り越えて今がある!
6.アートの仕事を通じて、お金を稼ぐことの大切さを学び、社会につながっていき、豊かに発達。

今回のインタビュアー:
全国地域生活支援機構(JLSA)
広報委員   加藤雅士
業務拡大委員 園部博正

第1部

1.こんなオシャレな福祉施設は初めて! 工房集の建物

工房集様は、JR武蔵野線・東浦和駅より徒歩15分のところにあります。
詳しくは、ホームページをご覧ください。http://kobo-syu.com

下記、ホームページにも掲載されている写真です。ご覧頂いてわかるように、とてもオシャレで、アートな雰囲気を感じられるとても素敵な建物です。

入口を入ると、高い天井に、ステンドグラスの灯りでお出迎え。内装もとてもオシャレです。

続いて、アーティストの皆さんの作品が飾っている棚。じっくり拝見させて頂きました。
ちなみに、こちらの作品はその場で購入することができます。

ついつい作品に見入ってしまい、なかなかこの場所から離れられませんでした(笑)。
私は娘にネックレス、あとは、普段に使えるように付箋を購入しました!

2.なぜ、工房集が生まれたのか? 母体の社会福祉法人みぬま会をご紹介

しばし、見学の後、今回の取材にご協力を頂いた「工房集の管理者」宮本様とお会いしました。

工房集 管理者

宮本恵美
(Megumi Miyamoto)

工房集の立上げ、工房集の運営責任者として活動。工房集からは、世界に羽ばたくアーティストが輩出されている。

加藤 
宮本さん、はじめまして、全国地域生活支援機構(JLSA)の加藤です。この度は、取材をご快諾頂き、ありがとうございます。

宮本
いえいえ、こちらこそ、ありがとうございます。

加藤
早速ですが、(宮本さんの手元にある本を見つけて)工房集さんでは、本も出版されていますね。

問いかけるアート
工房集の挑戦
問いかけるアート編集委員会著


宮本
この本は、工房集の取り組みについて書いてある本です。実は、工房集に来ていただいた方は、見学の後、すごく気に入ってもらえる方がが多くいらっしゃいます。

実は、見学の来られた方の中のお一人が、たまたま出版社の方がいらっしゃいました。私が色々とお話をした後、その方から「(工房集のことを)本にしませんか」って言ってくださり、それがこのような形で本になりました。

この本は2年ほど、聞き取りをこまめに行って頂き、出来あがりました。

宮本
この本には、20人のアーティストの紹介に加え、20人以外のアーティストの作品も紹介され、(工房集で施設の利用者様の皆さんをアーティストと呼ばれています)現場の職員や美術の専門家等のインタビュー記事もあり、盛り沢山です。

加藤
※私も打ち合せの後、本を拝読しました。工房集の立上げまでのご苦労はもちろん、立ち上げ後の様々障害を乗り越えて、今のような有名なアトリエになられたことがよくわかる本でした。是非、施設職員の方、障害のある方、そのご家族の方に、是非お読み頂きたいと思います。

早速ですが、先ほど、色々と展示されている絵を拝見しましたが、こういう作品は、完成した後、どのようにされるのでしょうか?

宮本
美術館や展覧会などに出品したりしております。実は、美術館さんの企画の中で、工房集からも何人か取り上げて頂いております。年間30回ぐらいの展覧会に出ております。

加藤
主催されることも多くあるのでしょうか?

宮本
主催は年4~5回ぐらいでしょうか?
それ以外は外部の展覧会からお声をかけて頂いております。

加藤
それだけ知名度があるということですね。

宮本
最近では、日本国内にとどまらず、海外展開もしています。
作品がニューヨークやパリにも行っています。アウトサイダー・アートフェアを始め、個展なども行ったりしています。

加藤
ニューヨークやパリなどで個展まで開いてしまうとはすごいですね。驚きです(笑)。

さて、これから、工房集様について、お聞きしていきたいと思います。
まずは、工房集様の母体である、社会福祉法人みぬま福祉会さんの話からお聞きしたいと思います。
よろしくお願いします。
※みぬま福祉会について詳しく知りたい方はこちらから http://minuma-hukushi.com/about/

宮本
我々の社会福祉法人みぬま福祉会は、30年過ぎている法人です。
30年前の当時は、養護学校は高等部まではありましたが、卒業した後に行き場がない人達に対する問題がありました。その当時というのは、座ってお仕事ができる人達に向けた就労訓練センターのようなところがある程度でした。

ですから、障害のある方のほとんどが、「在宅も進路だ」と言われていた時代でもありました。

加藤
在宅が進路ですか。

宮本
はい。ただ、その頃から養護学校が義務教育化されたことで、親御さんや学校の先生たちが、「せっかく学校でつけた力を伸ばしたい!」ということから熱心な活動が始まった時期でもありました。

園部
みぬま福祉会もそうですが、川口の特別支援学校の先生方も非常に熱心だとということもお聞きしております。

3.熱い思いの人達が集まって「希望すれば入れる施設づくりを目指そう!」

宮本:
私もこの仕事に関わることになって、埼玉は、先生方がすごく熱心で、思いのある先生方が本当に多いということに気づかれされました。

話は戻り、30年前の当時。我々は、関係者、学校の先生、親御さんなどの方々が集まって「希望すれば入れる施設づくりを目指そう!」ということを決め、始まった法人です。
http://minuma-hukushi.com/wp/wp-content/uploads/2016/05/minumahukushikai_pamphlet.pdf


当時、座ってお仕事ができないということを理由に断れた方々のためにつくられた法人で、初めは5名からスタート。
法人格をすぐ取って、川口太陽の家から始めました。すると、30名定員がすぐにいっぱいになってしまいました。

加藤
やはり、同じお悩みを抱えている方が多かったということですね。

宮本
そうですね。
立上げて定員がすぐいっぱいになってしまうと、また違う地域でニーズが生まれ、「ここにこういう施設が足りない」ということで施設を作り、また「この地域で施設を作ってくれないか」などのご要望に応えているうちに、どんどん施設が増えていきました。

そうすると、日中だけの支援では追いつかなくなり、入所施設を作り、様々なニーズに応えてきました。
「障害が重たい人たちは、みぬま福祉会へ」って言われるようになってきました。

園部
そういう認知が、今はしっかり浸透していますよね。

宮本
働ける人たちは、就労系。「本当に重たい人たちが来るのが、みぬま福祉会だ」って言われています。
だから、とても大変な人たちが多い状況でした。

親御さんも、もう本当に大変そうで、「この子を殺して、私も死ぬわ」ぐらいの親御さんがたくさんいらっしゃいました。

そこで、今度は、親亡きあとの入所施設ではなく、
親と一緒になって青年期の問題に取り組んでいこう!ということで、入所施設をつくってきました。

求められるニーズに合わせ、そのときの思いや気持ちとかに合わせて、事業を膨らませてきたのがみぬま福祉会です。

だから、通所施設もあれば、入所施設もあります。相談事業とか・・・、もう、色んなことをやっています。 埼玉県南地域では、比較的、大きな法人だと思います。

※社会福祉法人 みぬま福祉会様のホームページはこちらから
http://minuma-hukushi.com/
※施設の一覧は、こちらからご覧になれます。
http://minuma-hukushi.com/facilities/

加藤
それにしても、ホームページを拝見しましたが、施設数の多さ、事業内容も多岐に渡っており、
本当にすごいですね。

宮本
先ほども申したように、関係者に、その当時、養護学校の先生や学校の先生がいたことが大きかったと思います。
学校では、教育を受ける権利があります。

では、学校を卒業すれば、どうしたらいいか。「やっぱり働くことが大切じゃないか」と考えました。
そのために、「きちんと労働権を保障していこうよ!」というところから始まっています。

ただ、当時は、障害が重たい人たちの労働を保障しようという取り組みは、とても大変だったと聞いております。

当時は、リアカーを引いて缶を集め、お金にしていました。30年前は、きっと缶はが転がっていた。
アルミが高かった時代だったみたいで、その缶をプレスし、納品してお金にしていたそうです。

あと、綿100%の布とかシーツとかを、団地に行って、回収してくるというお仕事もしていました。流れ作業で、みんなで仕事する。たとえば、シャツですと、はさみが切れる人は、はさみで切るし、それができない人は、職員と一対一の関わりの中で、ビリビリって裂いていくという形で、お仕事として成立させ、納品して、お金をもらうという仕事をしておりました。

加藤
手づくり感がすごいですね。

4.工房集が生まれたキッカケは従来の福祉的仕事に合わない人との出会いがキッカケだった。

宮本
そうやって労働をつくってきた時代です。一人一人に向き合って、「働く」ということについて模索していた時代です。

しかし、しばらくすると、この「働く」ことが苦手な人がいて、実は問題になりました。

加藤
ホームページにも、そのようなお話が書いてありましたね。
http://kobo-syu.com/about/

宮本
当時の私は、「もう、どうしよう」って悩んでいました。
でも、その方がキッカケで、工房集の取組が始まりました。

園部
え! 宮本さんが、工房集の生みの親だったんですね!

宮本
と言っても、私はアートがあまり好きではありませんでした。もともとは。

園部
ええ、そうなんですか? もともとそういうのが好きで始めたわけではないのですか?

宮本
はい。「好きで始めよう」というわけではありませんでした。

加藤
意外(笑)。

宮本
そもそも私は、このみぬま福祉会に勤めて、当時は布をビリビリと破る仕事を担当していました。

そんな時に、ここに来ることになった方を私が担当するのですが・・・、まぁ、その人がなかなかその仕事をやりません。
「でも、お仕事なんだから頑張るんだよ」とか、言ったりして、いろんなことを試した。
一生懸命関わって、ほかの職員にも相談して、「なんとか、これならできるかも」など、いろいろ試しました。

でも、ウワーッ!って暴れて逃げちゃうし、個室に籠っちゃうし。それでも私は、個室にも出向いてって「さあ、お仕事だよ。頑張ろう」ってやっていました。「(いやいやモードで)また来たよ」って感じで仕事はしてはくれますが、やればやるほど関係が遠ざかっていくというか、仲良くなれない感じがしておりました。

「お仕事頑張ったね。お疲れ様」とか声かけても、うんでも、すんでもない。すごい嫌な顔されるだけ。
その当時、「ああ、これ、いつまでもやっててもしょうがないかな」と思っていましたし、みんなでずっと悩んでいました。

それで、あるとき、その方が部屋に籠っていて、何やらいたずら書きみたいなことをしていた光景を見かけました。
それで親御さんに聞いたら、どうも「家でもずっとやっている」と。絵描くのを、ずっと繰り返す。

そういうのが好きなんだ、ということがわかったところから始まりました。

そこで、我々の施設でバザーとか、イベントを開く時があるのですが、そのときに、「ちょっと、これ描いてくれない」って言ったら、その時は拒否せずに、普通に描いてくれました。「怒らなかった」ことにビックリでした。

ここから、当時一緒に組んでいた職員たちで、アートに関する情報を色々集め、たくさんの所に出向いてって、勉強して、「やってみよう」ってことになったんです。

加藤
なるほど、そう言ったことがキッカケだったんですね(笑)。

宮本
もう、25年ぐらい前になります。

加藤
今、アーティストの方は何名ぐらいの方がいらっしゃるのでしょうか。

宮本
今、法人全体で工房集の取組は1つのプロジェクトになっています。いろいろ表現活動しています。だから、120名ほどアーティストがいます。

ここが発信基地。ギャラリーとか、ショップコーナーがあるのがここだけです。ここを通して発信していこうと、法人全体のプロジェクトになってます。

加藤
なるほど。

宮本
ここまでくるのに右往左往、いろいろなことがいっぱいありました。

加藤
なるほど。その右往左往の中で、ちょっとつらい経験というか、「これ、大変だったよね」というお話と、
それをどのように乗り越えたか教えて頂けますか?

宮本
いっぱいありますよ(笑)。

加藤
あ、ではお時間の都合上、2つ、3つということで(笑)。

5.工房集、決して順風満帆ではなかったスタート。色々な障害を乗り越えて今がある!

宮本:
当時は彼女のこと(福祉的な仕事は嫌がるが、絵を描くことは好きな方)をきっかけに、「アートをやろう!」って言ったとき、一緒に組んでた何人かの職員たちには、賛同が得られたのですが、実はそうじゃない人たちもいました。

よく言われたのが、「絵画が仕事になるの?」。

「額に汗して働くのが労働だ!」の時代でもあり、

「好きなことだけやって、それが仕事になるの?」とか、
「仕事とはつらいものだというのを教えるべきじゃないか」、そう言う人もいたりしました。

加藤
そこをどうやって克服したのでしょうか?

6.アートの仕事を通じて、お金を稼ぐことの大切さを学び、社会につながっていき、豊かに発達。

宮本
このアートの取組は、職員会議でいっぱい議論しました。先程、述べたように、
(アートが)「これが労働になるのか」とか、「これ、やらせていいのか」とか・・・。
そんな時、施設長が背中を押してくれました。「労働」とは何か、その条件をちゃんと考えようと。

そこで、
アートの仕事を通じて、お金を稼ぎ、社会につながっていけるようにしようと。
そして、何より、この施設にいる皆さんが、豊かに発達していくことが重要だ
ということを。

我々は生まれたときから、保育園、幼稚園時代などの発達の段階を駆け抜けていきます。
彼らは発達年齢(精神年齢)的には、2歳とか、3歳とか、4歳とか言われている人たちだったりします。

でも、私たちが駆け抜けてく発達を、彼らは、「横に豊かに発達してる人たち」と言われています。
だから、普通の2歳児が描く絵と、彼らが描く絵は、やっぱり違います。
それは、生活年齢の問題だったり、横に豊かに発達してるところの部分で違いがあるのだと思います。

だから、お金を稼ぎ、社会とつながれる、そして、本人たちが豊かになってる、「その3つの条件があれば、仕事と捉えよう」ということを施設長が言ってくれことで、「まずやってみよう」ということで始めました。

だから、「なんとかしなくちゃ、お金にしなくちゃ」というのがやっぱりありましたね。

加藤:
確かにそうですね(笑)。

宮本:
ただ、私、ちょっと美術が苦手でした(笑)。

だから、彼らが描く絵とか、織が、果たしていいのか悪いのか、さっぱりわかんないところもありました。
なので、「どうしよう」と思っていました。

加藤:
実は、私も美術、苦手なので、よくわかります(笑)。

宮本
でも、施設長も、「僕もちょっと美術苦手だから、わかんないんだよね」って言われたとき、
「何も、すべてここで完結することないよな」って考えを変えました。

施設長から「いろんな人の力借りようよ」って、言ってもらえたことが大きかったです。

加藤
節目、節目で、施設長様から良いアドバイスをあって良かったですね(笑)。

宮本
はい。
当時はまだ、障害のある人たちの展覧会は珍しいものでした。
今でこそ、すごく多いのですが、当時はまだだ少なかったです。
でも、その少ないところを見つけて行っては、関係者の方とか、そこに関わっているアーティストの方に名刺配りました。

そういう活動しているうちに、来てくれる方が少しずつ増えていきました。

加藤
地道な活動を、自ら行っていくことが重要なんですね。

第1部は、ここまでとなります。今、福祉業界の中で、アートの分野で注目されている工房集についてご紹介しました。
第2部では、工房集様の生い立ちと現在に至るまでの取組みをご紹介します。

第2部をご覧になりたい方は、こちらからご覧頂くことができます。https://jlsa-net.jp/interview/koubosyu-2/

加藤 雅士

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電子福祉マガジンの編集長。一般社団法人 全国地域生活支援機構にて広報委員を担当する。現在、株式会社グリットの代表取締役会長としても活動を行っている。

プロフィール

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